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歌劇(ヅカ.OSK)オタでジャニオタでアニオタの独り言。スタジオライフ、2.5次元も嗜みます。主観で好きなことを好きなだけ書いてます。

【観劇】劇団ドラマティカ Phantom and Invisible Resonance【2.5次元】

劇団ドラマティカの二作目をみてきました!!

大好きなあんさんぶるスターズの、大好きなキャラ日々樹渉くんが主催している劇団の公演!ということで、とりあえず先行に応募したら当たりましたので、頑張って行ってきました。

まだ公演が続いているはずなのですが、ネタバレなどおそらくすると思います・・・ので、ネタバレ踏みたくないからはそっと戻っていただければと思います。

 

さて、前述の通り、私は日々樹渉くんというアイドルが最推しです。

彼の好きなところはいくつもありますけれど、このドラマティカ公演を見にいく動機となっているのは、エンタメを、芝居を愛している彼の姿や心が好きという気持ち、さらに、その彼が主宰として興行する芝居には行きたい!という気持ちに他なりません。

そういった意味でいくと、正直、前回の西遊記から続くモヤモヤが、結果的には増幅してしまって、なんで彼はこの芝居を打とうと思ったのか?という疑問が残る公演でした。

キャラ贔屓ではないですが、演者はそれぞれ本当に素晴らしかったと思います。何がダメかといえば、おそらく脚本と演出。

あともしかして全てのポイントにおいて時間、なかったですか?と聞きたい。

それくらい、正直粗の目立つ脚本だったし、矛盾が多い台詞が散りばめられていて、これは混乱するよ、とため息と頭痛でした。

 

前回の西遊記から今回はファントム、という単語が流れてきていたのでもしかしてオペラ座の怪人のオマージュかな?と思ってましたが、全然関係なかったです。

ざっくりいうと、裏社会パロのバディもの。

ファントムという裏社会の大物をめぐって、警察ができない汚れ仕事を担う嵐ちゃんと、ファントムにつながる人脈を期待されて任務が成功すれば無罪放免の約束で駆り出された死刑囚のレオくん。警部渉くんとその部下北斗くんの指示により、裏社会の情報屋である凪砂のバーで落ち合った人たちが追うのは、ファントムと繋がりがあるとされる裏社会のドン、宗くん。

もちろん、ファントムとは誰なのか?が大前提としてお話が進むのですが、まず登場人物の設定や動機が弱いんです。

まず渉がどうして警察のくせに自ら動いて裏社会のゴタゴタを一掃しようと動いているのか、正直よくわからない。

嵐ちゃんもファントムに身内を殺されている、というのはわかったけど、そこから渉が提示する危ない仕事を受けて、ファントムにたどり着いて、その先に何を求めているのかがわからない。

レオくんに至っては「このミッションを成功させれば無罪放免」という条件に飛びついたわけではなく「宗くんにハメられて死刑囚になった恨みがあるから復讐できればそれでいい」と言っている、つまり無罪放免はどうでもいいのかな?と思うけど、なんだかそれがはっきりしないまま話が進むので、途中でそういえばレオくんはれおくんは結局何を求めてるんだっけ?がはっきりせずモヤモヤ。

北斗くんもめちゃめちゃ仕事のできるエリートって設定なのに、結構序盤で自分が誤送してきた死刑囚の罪状やそこへ至る経緯を一切知らなくて、説明される台詞に知らなかったと言ってしまう。後半への布石だとしても、それなら尚更ここで違和感を残すような言動を、絵に描いたようなエリートがするわけないだろう、という気持ちになる。

凪砂も、結局この人はどこのポジションの人間なのかわからず、中の人が非常に楽しそうに芝居をしていたのはわかるんですが、場を掻き乱す人物以上でも、以下でもなく終わってしまいそうなのが残念。

宗ちゃんは比較的破綻ないように見えたようで、その実影武者の設定が中途半端で生きているとは言い難い。何をしたいのか、の明確な軸は一番見える役だったので、全体を通して一番理解できる、好感がもてる役ではあったと思う。

 

ちなみに、前作の西遊記の時はキャラクターの性格が役に反映されているような作り方だったので、今作もそうかと思っていたんですが、結果としてカーテンコール以外は少しだけリンクするところがあるかな?くらいで、キャラクターの見た目だけ引き継いだような感じでした。

この「少しだけリンクする」が結構厄介だなと思っていて、前述の通りこの芝居は、入子式というか、役者さんがゲームのキャラになった上で物語の役を演じている、という複雑な構造なんです。

もし1作目の西遊記では、まだ最初だからということでキャラクターの性格を物語上の役に色濃く反映させたのだとしたら、今作で突然キャラと役を切り離しすときは徹底的にやるべきだったと思うんです。

観る側はどうしても前作からの今作、という見方をしがちなので、それならいっそ清々しいくらいに切り離してくれれば、前作からみているお客も「そうか、今回はそのスタンスで行くんだ」とついていけると思うんですが、それがなかった。

序盤のギャグのパートなど、これはテンポも悪いし頻度、長さも不適切だよなあ、と思ったのですが、そこでキャラクターの要素が色濃く出る瞬間があったりして、あれ?今回はキャラ入れないんじゃないの?あれ?という状態になり、せっかく謎解きのようなシナリオでサスペンスみもあって面白いのにも関わらず、そこを考える前に気が散ってしまって私はダメでした。

あと途中からもう展開が読めすぎてつらかったですね。。。

嵐ちゃんとレオくんの反りが合わなくて喧嘩をたくさんするんですが、全く同じ内容で進展のない喧嘩は芝居の進行上で意味はあったか?と聞きたくなります。

同じ喧嘩を見せられて、同じように北斗くんに止められて、何を伝えたいの?!となってしまった。もちろんすぐ仲良くなっても違うと思うし、会うたびに喧嘩するような二人、という描写が欲しかったにせよ、毎回同じ内容を繰り返す必要あったのか・・・?と甚だ疑問。

それから、裏社会パロが本当にふんわりした裏社会。

嵐ちゃんも渉くんも、裏社会で生きてきたはずなのに詰めが甘すぎる部分が多々あって、だからこそファントム側に弄ばれるような感じではあるとは思うんですが、そもそも裏社会におとといやってきました!の人ではない限り、そんな言動・行動はしないよね?ということが多くて多くて。

例えば、嵐ちゃんレオくんが「もしかして凪砂がファントムなのでは?」と会話してたのですが・・・まあこの時点で言っちゃったので違うんだな、と観客側にはわかる演出でしたが・・・その後凪砂が加勢に来てくれたのをみて「助けに来てくれたらファントムじゃない」という意味で「目の前の敵に集中できる!」というセリフがありました。

裏社会の人はそんなに簡単に他人を信じるんでしょうか・・・特に命のやりとりをしている戦場において・・・。台詞聞いてて、んなわけないでしょ!と叫びたくなりました。

そして最後、決着はつかず、バディと渉くんは引き続きファントムを追うぞ!てなってまして、ファントムもさんざん死んだふりしてたけど、やっぱり生きてる!という流れの中で、先へ進むぞ!という感じでしたが、西遊記も同じようにループをくりかえす世界線でしたがもしかしてドラマティカでやる話って、ループや輪廻の要素を入れないと作らないのか・・・?という感じ・・・。

そうだとしても今回がすごく雑なループ導入だったと思います。なんで?

 

とまあ、これがもうびっしり詰め込まれちゃってるので、話が進めば進むほど「あれ?さっきのあれって回収した?」「さっきはこう言ってたけど、やっぱりこういうこと?」「ん?それっておかしいのでは・・・」という疑問が浮かんで消えて浮かんで消えてしてしまいがちで、物語に集中ができなかった、です・・・。

 

よかったところは、演者のビジュアルと衣装、かなぁ。

というくらいには、なんだか不完全燃焼でした。

前回の西遊記の時も思ったのエスが、渉くんが劇団ドラマティカの主宰ということは、渉くんがこの芝居をやりたい!わたしたちに披露したい!と思って企画を作ってくれたということですよね。

と、なると、渉はどうしてこの作品をやりたかったの?という点が前回に続き最大の疑問。伝えたいことはわからない、完全なるエンタメとして楽しむにしても、何かを考えさるような種を随所に巻かれてしまって、エンタメ要素だけを拾うのは無理がある。

あと友人が言っていたのですが、渉くんの役が毎回いい人のように持ち上げられて描かれているのも違和感があるとのこと。渉くんは自分をいい人に見せるためだけの作品作りをするとは思えない(以前、原作のゲーム内で理不尽ながら必要と判断して悪を演じきった過去あり)ので、西遊記も今回の作品も、渉が選んだ脚本ではないかのような雰囲気があると。

確かに脚本は渉が書いたわけではないかもしれない、それはそうかもしれないとして、その脚本を己の劇団を使って上演する選択をしたのは渉くんな訳で、それならどうしてその判断を下したのか、そこが理解できなくて苦しいわけです。

推しのことだけど、わからないことってあるんだな、で済ませられたらいいのですが、いかんせん彼は着地点がどこであれ、そのことについて説明できる力を持ってるはずなので、本当にこれがモヤモヤする最大の原因です。

何を思って、この芝居を上演した???

題材もいいし、役者もいいので、本当に本と内容が謎、どうしてこういう作品を板の上に上げる選択をしたのか本当に推量れなくて、申し訳ないけど教えてほしい。