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歌劇(ヅカ.OSK)オタでジャニオタでアニオタの独り言。スタジオライフ、2.5次元も嗜みます。主観で好きなことを好きなだけ書いてます。

【ヅカ】巣ごもり観劇のはなし【円盤鑑賞会】

お元気でいらっしゃいますでしょうか、三回目です。

さて、今回は巣ごもりで見た作品で良くも悪くもコレはwとなった作品について語ろうと思います。

 

よく宝塚の作品で駄作とトンチキってあるんですが、これ、似て非なるモノだと今回改めて思いました・・・うーむ。

見たのは、まあ、「蘭陵王」なんですけどね!!!

あきらがナイスおネエだったとの声もあり、見た友人が「観劇中笑いをこらえるのが大変だった」と言っていたらから、きっと邪馬台国ばりのトンチキだなと思ってワクワクしながら見たんですが・・・ただの、駄作!!!!!←

キムシンにしては説明が乏しいというか、ブレにブレた作品だったな・・・と思ってしまう。

題材はいいんだけど、そこに乗せるテーマは何なのか・・・。

蘭陵王が主人公のゲームだったら自分で選択肢を選んでいくから楽しいのかもしれないけど、いかんせん蘭陵王くんの幼少期の環境に端を発したのか、成長してもなんだか中身が空虚で、何をしたいのか、何を考えているのかがわからず、そこがミステリアスで素敵とも言い難く・・・。

周囲の人物にしても、くり寿ちゃんはかろうじてどういう女性なのかわかったようなものの、彼女が蘭陵王とひかれあっていくのがイマイチなぜかわからない。

あきらは本当にこれ、賑やかし以上の役割あった?という、あきらにやらせる必要あるか?な感じでしたね・・・。

いろんな紙面であきらが「あの役は本当に苦労した」というからどんな難役かと思ったんですが・・・その「苦労」って、芝居の中でどういればいいのか、この空虚な役をいかにストーリーの中で自然に、浮かずに演じるか、どこで自分の中で落としどころを見つけるか、という苦労な気がして、これってあきらが頑張ったところで脚本演出のせいで殺されてるのでは?と疑念。

個人的には権力に興味がない、戦いよりも美しいものは好き、身目麗しい同性の恋人がいる、なんていうなかなかに革新的な設定を背負っている、のに・・・使い切れてない!!!もったいない!!!!

恋人のほってぃも、途中まで何を考えているのかがわからない、あきらと一緒に幸せに暮らしたいなら、蘭陵王を毒殺する必要なんてなかったのでは?

あと、死ぬ間際に「なによォ!」と突然オネエ言葉になったのも、なんだか醜悪なステレオタイプを見せつけられている気がして頭痛がしたんですよね・・・いいじゃん、別にオネエ言葉しゃべらさなくても。そうじゃなくとも、ずっとあきらと一緒にいるその姿を見れば、この人はゲイもしくはバイだな、恋人同士なんだな、とわかるじゃないですか。オネエ言葉をしゃべらせないとその人のセクシャリティがわからないなんて、そういう時代ではないのですよ。そのほってぃも、それまでの過程の中でさびしんぼのあきらより先に死ななければならない可能性のあるような凶行に臨むタイプか?と言われる、それはなんか違う気が。。。

ツメが甘いような気がします、この話全体。

 

蘭陵王という題材は魅力的だし、中国の歴史ロマンとしてかなりいい路線だったとは思います。セットも衣装も音楽も、こだわったんだろうなー!というのは見て取れたんですが、いかんせん演出家の欲望がまとまってなくて、イマイチ心に響いてこないのが残念ですね。

トンチキというよりも、駄作!と言わざるを得ないのが残念すぎます。しかも主演のかちゃは・・・やっと単独主演なのに・・・やりどころが!!!なさすぎ!!!巧い人をそろえてやった公演なのに、もー、ほんと、もったいないが過ぎる!!!

 

とまあ、巣ごもり鑑賞会一発目はそんなこんなで総員ツッコミまくりで笑ったんですが・・・本当にこれが外部の箱で一演目って思うともったいないな・・・めちゃめちゃ余ってたって聞くけど、そりゃこの作品じゃあしょうがねえ!と演者を気の毒に思っちゃいました。もっと豊かな作品が見たかったんじゃないかな・・・。

 

ちなみにこれを見た後は、素敵なショー作品で口直し。

BG見ました。やっぱり花組のショーはいいなー。